存在しているのに見えないもの
昨日、お風呂に入りながら考えていたこと、
存在しているのに見えないものは?
ウィルス。今、世界中に広まっているCOVID-19。小さ過ぎて、土の上の豆粒を見つけられる、目の良い鳥だって見えない。
心。誰もが持っているのに形が見えない。
でも、感じることができる。意地悪とか、優しいとか、温かいとか、冷たいとか・・・。
痛み。PCに向かい過ぎで背中と腰が痛くなった。確かに痛いのに、痛みが見えない。痛みは体からのサイン?明日は少し体を休めよう。
音楽。音が流れていく。心地よい。でもどこ?見えない。今、そこに存在しているのに掴めない。消えてしまう。
耳に残っているのに。
空気。生きていくのに必要なのに、見えないから意識しない。でも、今は環境問題が話題になるので、徐々に意識されているけれど。
植物が作っている酸素。それを消費している動物たち、人間も。
地球。全ての生き物を包括しているのに、大き過ぎて見えない。でも宇宙から地球を眺められる時代になり、地球は宇宙の中ではちっぽけな1つの惑星。
人が見れるものは限界があるということを、最近思う。見えていなくても確かにそこに存在している。
COVID-19がこれだけ蔓延してしまったのは、見えないからだと思う。
これが、汚い液体だったり、臭いものだったら、誰も触らないように気をつけるだろうに・・・。
花粉を飛ばす準備中のスギは、黄色っぽくなってきた。