競うというDNA
最近話題のネットの規格、5G。
でもニュースを観ていたら、5Gの次の通信規格の話をしていました。NTTが開発している次世代の通信規格です。GAFAに負けないために、と社長が話していました。
ものを作るプロダクトの現場では、常に前を前を向いて走り続け、立ち止まることを許されない、絶えず競っていかなければならない厳しい世界だなぁと感じます。勝ち残ることが本当にいいことなんだろうか、とも思いながらも、生き物はDNAの中に競うことが刷り込まれているんじゃないかとも思うのです。
果物のバードフィーダーを吊るしたらメジロのつがいが来るようになって、1羽が食べている時は、もう1羽がちょっと離れたところから周りに危険がないか見張っています。そのメジロがちょっと騒がしくなった時は、新参者が来た時でした。
「一緒に食べよう、どうぞどうぞ」などと譲ることはなく、餌を守るために相手を追い払っていました。それは貴重な餌が自分の命に繋がるからなのでしょう。
考えてみれば、自分だって、少しでも良い成績をとるために小さい時から人と競ってきたように思います。でも今思うと、それはなんのため??生きるためと言い切れるのでしょうか・・・。
競わなくてもいい時間があってもいいんじゃないか、と最近は思います。
競うのは過去の自分と。
人間だからそれが許されるんじゃないかとも思うのです。